【美術・建築探訪】新・北斎展 3月17日 (その2)

 こんにちは(こんばんわ)。アップアンドダウンです。美味しいお酒を呑み、良い映画を観て、素晴らしい本が読めれば幸せです。美術や建築にも興味があります

 さて、「その2」です。

 でも、改めてこの展覧会を想起して、まとめるのが難しいと思うんですよね。でも、まとめる必要もないのかもしれませんね。北斎という人物とまとめられないというのは、自分をまとめられないのに通じているような気がします。自分をきちんとまとめて話せる人間が胡散臭いと同時に、他人や自分の周りをまとめられる人間もなんやら胡散臭いと感じてしまう。

 今回の「新・北斎展」は、北斎が多義的であると同様に多義的でした。今回の展覧会の出展作品の7割はいわゆる「永田コレクション」からのものです。北斎が70年に亘って画業を続けたのも分からなければ、永田生慈(せいじ)さんが40年に亘って北斎研究をし続けた理由も私には分かりません。画ではなくてはならないということも、北斎でなければならないこともなかった筈です。しかし、平成31年の現在、内外の数万人の人をくぎ付けにする展覧会に結実しているわけです。今回の展覧会は、北斎をみていると共に、北斎を見てきた故・永田生慈さんを見ているし、そのような自分も見ているという不思議な時間を与えてくれました

 

 結局、それでも分からないわけです。勿論、貫地谷しほりさんのナビゲーションがいいとは言えますw ある発見があるとその二倍の疑問が沸く。そのような展覧会が良い展覧会であるとすれば、正に「新・北斎展」はそのような展覧会だったと思います。

 

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 (貫地谷しほりさん)

 

 ちびちびと続きます。