【美術・建築探訪】「奇想の系譜」(上野・東京都美術館)2019年3月24日 ☆その1

 こんにちは(こんばんわ)。アップアンドダウンです。美味しいお酒を呑み、良い映画を観て、素晴らしい本が読めれば幸せです。美術や建築にも興味があります。

 

 さて、このカテの前回で言及しました「奇想の系譜展」です。ちなみに、「新・北斎展」についての前回(最後)の記事は以下の通りです。

 

upanddown.hatenablog.jp

 

 上野というのは美術館・博物館が沢山ありますね。桜の名所でもあるので、24日は内外の行楽客で一杯でした。この展覧会も相当な人出でした(が、「新・北斎展」ほど入場が待たされるということはありませんでした。)。

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 今回、江戸期の絵画展を二つ連続で見ました。この中で改めて感じたのは、芸術の鑑賞をするに当たっても「量が質に転化」することです。私は以前、キリスト教美術をまとめて鑑賞する機会がありました。その中でのちょっと経験が素晴らしかったです。キリスト美術には幾つか定型的なモチーフがありますが、その中に「受胎告知」があるのは皆さんご存知かと思います。この「受胎告知」では、天使ガブリエルが聖母マリアに対しているのを鑑賞者は横から見ているという構図が普通で、左上に天使、右下に聖母という感じです。ところが、ルネサンス期には、この伝統的な構図を破った「奇想」の「受胎告知」がアントネロ・ダ・メッシーナ(1430?~1479)の「受胎告知のマリア」ですね。

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「受胎告知のマリア」

 西洋美術に詳しい人から見ると馬鹿にされそうですが、初めてこの絵を見た時にはびっくりしましたね。通常の構図ではなく鑑賞者は天使ガブリエルの視線から聖母マリアを見ているわけです(なお、もっと驚かされるのは現代的とも見えるこの絵がルネサンス前期の1470年半ば(メッシーナの晩年)に描かれていることです。)。芸術家というのは、伝統を変える何かを芸術に加えることで記憶に残るものだなと思いますね。

 もちろん、伝統に何かを加えることや伝統からほんの少し離れることによって芸術に意味を加えることは重要なのですが、完全に伝統的手法や主題から離れるわけにはいきません。ですから、「奇想」を有する江戸期の日本の画家(その中にはもちろん、北斎が含まれることは当然です。)は、10歩先に行くのではなく数歩、あるいは半歩先に行くくらいの気持ちでいたのかもしれませんね。

 そして、いかなる芸術家も、自分の経験から完全に自由であることはできません。また、自分の出自や経歴もその作品に影響します。今回の「奇想の系譜」展で最も年代が古いのは、岩佐又兵衛(1578~1650)です。又兵衛は、織田信長に反抗した荒木村重の子で2歳の頃有岡城の戦いで荒木家が滅んだ際は2歳で乳母と共に脱出して石山本願寺に匿われます。その後、織田信雄に仕え、松平忠直に仕え、忠直改易後にも福井にとどまりますが、その後、徳川秀忠に招かれて江戸で活動することになります。又兵衛のせいではないでしょうが、生家を含め、殆どが没落するか滅んでいます。

 今回の「奇想の系譜」展で特に注目を浴びていたのが又兵衛の「山中常盤物語絵巻 巻五」でしたが、これは、旅の途中で盗賊に殺害された母・常盤御前源義経が退治する物語です。死にゆく常盤御前と侍女の姿は凄惨です(少しずつ青ざめてくる顔が特に目を惹きます。)。幾つもの滅びを身近に感じた又兵衛が書くからこその作品でしょうか。また、音声解説もされていた伝・岩佐又兵衛「妖怪退治絵巻」。この絵は、雄々しい武者が多くの妖怪を退治するという中々あり得ない主題だということです。誰のために、何故このような絵を描いたのか分からないのですが、自分や自分の大事な人たちに害をなしてきた妖を自分の世界で討伐する鎮魂の絵だったかもしれませんね。

 

 まとまりのない文章になってしまいましたが、取り敢えずはこの辺で。続きます。