【時事英語に学ぶ】偽クイズ王の死と米国保守派の道義的退廃(20190412NYTオピニオン)

 こんにちは(こんばんわ)。アップアンドダウンです。美味しいお酒を呑み、良い映画を観て、素晴らしい新聞記事と本が読めれば幸せです。
 
  1. 記事:トランプと「恥」の絶滅(原タイトル仮訳)

     さて、今回は、「やらせ」で活躍した米国の偽TVクイズ王の死を題材にして米国保守派の面々(=トランプを支持する共和党の面々)を批判するブレット・スティーブンス氏のオピニオン記事を紹介します。 

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 ブレット・スティーブンス氏というと、以前はこのような記事を取り上げました。 

upanddown.hatenablog.jp

  ブレット・スティーブンス氏の特徴は美文調だと思います。この種のオピニオン/エッセイの定型である最初は具体的な事例を取り上げ、そこから抽象するというスタイルも取っていて、それなりに読みやすい。

 また、基本的には中道でトランプ嫌いだと思いますが、現政権の政策は是々非々で評価するということでしょう、以下の記事のように。 

upanddown.hatenablog.jp

 

2.偽クイズ王、チャールズ・ヴァン・ドーレン氏

  このオピニオン記事で話の枕に取り上げらえているのは、先ほど93歳で死去したチャールズ・ヴァン・ドーレン氏です。4月10日付のNYT訃報記事は、こういったものです。最近話題になってそれなりに知名度がある人物を取り上げるのは機敏です。

 
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 1957年から58年の間、NBCの「21」というクイズ番組に出演した際には、ニューヨーク州コロンビア大学の英語学の講師でした。英国で数学の修士号を取った後にコロンビア大で英語学の博士号を取った人物です。この記事の中にも書かれていますが、チャールズ・ヴァン・ドーレン氏の一族は文学面では大変に高名な人物が多く、父親を含めて各種の作品でピューリツァー賞を受賞している人物が複数います。

 ヴァン・ドーレン氏が「21」に出演することになったのは、共通の友人を介して知り合った同番組のプロデューサーから出演を勧められたからということです。好感尾の持てる風貌、大学講師であるという知性等々から適切だっただろうということですね。なお、1957年という時代だと、ヴァン・ドーレン氏のようなそれなりに裕福な家庭の子女でもTVを持っていなかったそうです。

 ヴァン・ドーレン氏は博識さを「21」で遺憾なく発揮し、しかも、躊躇したり等々の表情を出してということで、高視聴率を記録したこの番組の寵児になったわけです。しかし、その活躍し過ぎから大きな疑念が生じ、マスコミ、警察、連邦議会などでの質問を浴び、最終的に不正を白状してしまいます。つまり、前もって答を与えられていた、演技指導を受けていたという不正です。一例として、黒海について①海峡の名前、②黒海に付属している小さな海、③面している国を答えよという問いにも答えていたというのがありましたが、今での自分の国の位置や形が分からないのが国民の3分の1と言われている米国ではちょっと突出し過ぎていたんでしょうね。

 結果ヴァン・ドーレン氏は、NBCとの「契約」(出演者が契約しているのは何かおかしい感じがしますが・・・なお、担当プロデューサーなども解雇されました。)を破棄され、大学での職を失い、匿名での著述で食いつないだ後、出版社に就職して1982年に引退しました。その後、何冊かの本を出版したのですが、「21」事件については語ったのは2008年の「ニューヨーカー」誌でのインタビューのみだということです。若くて無知であった故の過ちを「恥」として長く保って生きてきた人物であるという印象ではあります

 あるいは、そのような印象を筆者が持たせようとしているのでしょう。映画などのエンタテインメントと同様、このようなエッセーでも、善玉と悪玉は必要ですから。

 

3.今回の記事概要と試訳

 今回ブレット・ティーブンス氏は「恥」を知っていたチャールズ・ヴァン・ドーレン氏に比べて、倫理的・道義的な失敗を犯した人間が開き直るか、あるいは嵐が過ぎ去るのを待ってTVなどで稼ぐ最近の米国の風潮を「否」とします。また、このような米国人の典型であるトランプ大統領を掣肘しようとしない共和党関係者を批判します。これにはちょっと無理な感じがしないではないのですが、ともかく、スティーブンス氏の文章を見てみましょう。

 ヴァン・ドーレン氏が「やらせ事件」判明後の60年間を静かに過ごしてきたことを称賛しつつ、このように述べます。

  

 The contrast between then and now is worth pondering in the Age of Trump — an age whose signature feature isn’t populism or nationalism or any other –ism widely attached to the president. It’s the attempted annihilation of shame. Shame is neither sin nor folly. It’s what people are supposed to feel in the commission, recollection or exposure of sin and folly.

 In days bygone, the prescribed method for avoiding shame was behaving well. Or, if it couldn’t be avoided, feeling deep remorse and performing some sort of penance.

 By contrast, the Trumpian method for avoiding shame is not giving a damn. Spurious bone-spur draft deferment? Shrug. Fraudulent business and charitable practices? Snigger. Outrageous personal invective? Sneer. Inhumane treatment of children at the border? Snarl.

 Hush-money payoffs to porn-star and centerfold mistresses? Stud!

 

(試訳1)

 往時と現在の対比をトランプ時代に考えるのは価値があることだ。トランプ時代の特徴は、多くによって大統領に貼られたポピュリズムナショナリズムやその他の何とかイズムなどというものではない。この時代の特徴は、恥を絶滅させる試みである。「恥」は 倫理的な罪でも馬鹿げた過ちでもない。恥とは、倫理的な罪や過ちを犯し、回顧し、あるいはさらけ出す際に感じるべきものである。

 遠く過ぎ去った時代に定められていた恥を避ける方法は、適切に振る舞うことであった。また、恥が避けられない場合には、深い悔恨の念を感じ何らかの形での辛い謝罪をしなくてはならなかった。

 対照的に、トランプ的な恥の回避法とはそんなことは気にしやしないというものだ。踵の骨の偽診断によるによる徴兵忌避だって?肩を竦めて、それが何か。ビジネス・慈善事業での不誠実な慣行だって?せせら笑って、それが何か。受け入れがたい個人攻撃をしているだって?蔑みを露わにして、それが何か。国境での子供を非人道的に扱っているって?声を荒げて、それが何か。

 ポルノ女優と袋綴じグラビア女に口止め料を払ったって?お盛んだね

                     (試訳1終わり。太字・下線は引用者)

 

 中々面白い表現ですね。ここまでぶっ飛んでいるとすがすがしい。Sで始まる動詞でトランプ大統領側の恥知らずな言動への反応を示して、最後は段落を変えてというのも面白いですね。まあ、このような表現でのトランプ攻撃は、ハニティとかランボーの反発するところでしょうが・・・このような恥知らずの行為をしても大丈夫なのは神経(nerve)が丈夫だからね、とトランプにジャブを売りつつ、ヴァン・ドーレンと最近の「恥知らず」との対比に移ります。

 

 Will the cheaters of today — think of Jussie Smollett or Felicity Huffman — feel the same kind of self-reproach in 10 or 20 years? Hard to say, though I doubt it. Smollett, who was accused of staging a hate crime against himself, expressed no contrition after all the charges against him were curiously dropped and his court file sealed. Huffman did better by pleading guilty in the college-admissions cheating scandal, and will surely have to lay low for a while. But a comeback story — polished, perhaps, by a teary TV confessional and a tastefully publicized journey of self-discovery — surely awaits her, and maybe Smollett, too.

 It was once the useful role of conservatives to resist these sorts of trends — to stand athwart declining moral standards, yelling Stop. They lost whatever right they had to play that role when they got behind Trump, not only acquiescing in the culture of shamelessness but also savoring its fruits. Among them: Never being beholden to what they said or wrote yesterday. Never holding themselves to the standards they demand of others. Never having to say they are sorry.

 Trump-supporting conservatives — the self-aware ones, at least — justify this bargain as a price worth paying in order to wage ideological combat against the hypostatized evil left. In fact it only makes them enablers in the degraded culture they once deplored. What Chicago prosecutor Kim Foxx is to Smollett, they are to Trump.

 

(仮訳2)昨今ズルをする人間はどうだろうか。ジャシー・スモレットやフェリシティ・ハフマンについて考えてみよう。彼らは、(ヴァン・ドーレンと)同様な後悔を10年あるいは20年後に感じるのだろうか?いわく言い難い。しかし、疑わしい。スモレットが非難されたのはやらせの自分へのヘイト犯罪を仕組んだからだ。スモレットは、全ての嫌疑が何故か取り下げられ法廷記録が封印された後、反省の意を明らかにしなかった。ハフマンは大学不正入試事件の罪状認否で罪を認めたのはましで、しばらくの間は姿勢を低くしていなければならないのは決まり切っている。しかし、カムバックの物語が待っていることも決まり切っている。 おそらく、涙をたたえたTV業界のプロと上手く味付けされて宣伝される自己発見の旅によってきらきらになったカムバック物語がハフマン、それにたぶんスモレットも待っている。

 かつて、保守派の有用な役割はこのような趨勢に抗うことだった。それは、劣化する道義的水準に反して立ち、「やめろ」と叫ぶことであった。保守派は、そのような役割を演じなくてはならないという立場を失ったが、それは、トランプの支持をすることにした時である。それは、恥知らずの文化に屈したということのみならず、その文化の果実を味わっているということでもある。例えば、昨日の発言や書き物に縛られないということだ。他に要求している基準に縛られないことだ。そして、決して謝罪しないことだ。

 トランプ支持の保守派、少なくともその自覚がある保守派は(恥知らずの文化に屈するという)この取引を正当化して、これは支払う価値のある代償で、これをもってして悪として実体化した左派にイデオロギー上の戦闘を挑むのだと言うのだろう。実のところ、この取引は、彼ら自身がかつて忌み嫌った劣化した文化を可能とする存在に保守派を変えたののみである。(スモレットへの嫌疑を取り下げた)シカゴの検察官キム・フォックスがスモレットに対するのは、保守派がトランプに対するのと同様である。.

                      (仮訳2終わり。太字は引用者による)

 

4.感想

  散々な言いようですw 筆力のある人間が遠慮なく書くとこのようなことになるんでしょう。まあ、気持ちは分からないではありません。しかし、道義の衰退ってトランプに始まるんでしょうか?何か印象操作的に、「すべてトランプが悪いんや」と言っているようにも見えるかもしれません。民主党の大統領候補が乱立している状況では、やはり、論ずるべき、攻めるべき対象は、幸か不幸かトランプ大統領ということになるんでしょう。

  しかし、現在の米国での「恥の絶滅」というのは、一部有名人や共和党保守派の責任にのみ帰すことができるものなんでしょうか、と個人的には疑問を持ちますね。「ある国民はその資質以上の政治家を持つことはできない」という、使い古しの1000円札のような表現がありますが、似たような感触を持ちます。スキャンダルにまみれた有名人の「カムバック物語」に需要がある限り、メディアはそのような物語を供給するでしょう。また、トランプ大統領支持者も、自分たちの姿勢を党派的な支持者が唾棄しないことを知っているということでしょう。だから、この種の有名人・政治家批判は「天に向かって唾を吐く」ことに陥るおそれがあるなという感じですね。

 

  以上、こんなところです。お立ち寄りいただき、ありがとうございました