自分や日本の地位や位置を「明らめた」上で、今後の途を「考えるヒント」(ブログ紹介等)

 

1.改めてのご挨拶

 読者の皆様、こんにちは(こんばんわ)。どのような令和2年の年始だったでしょうか。↓元旦の書き込み↓の通り、ブログを再開したUpAndDownです。ブログ編集のテクニックは今後習得することにして、できる限り、内容を充実させることにしたいと思っています。何卒、ご指導、ご鞭撻のほど、お願いいたします。

 

upanddown.hatenablog.jp

 

2.今後のブログ発信

 その為にも、過去の書き込みで行なったように細かな(というのは定義が難しいですが)日本・世界の動きを毎日追うのではなく、自分が気に掛ったテーマを現在の自分の器で考えてみて、その考えをゆっくりと共有したいと思っています。その為、ブログ発信は1週間に1回ほどになると思います(おそらくは週末の朝)。非専業「ブロガー」としては、適切な頻度ではないかと思います。

 

3.私の一つの(おそらくは深刻な)関心

 私の関心の一つは、日本という国が如何に今後生き残っていくかということです。これは、日本国民として生きる私として非常に切実な問題です。現在の国際社会においては、寿命の無い(と見なされている)国家が生存することが個人の生存と同義の筈です。ただし、自分を国家そのものと考えている(集合的は「朕は国家なり」)エリート層と非エリート層の間に既に利害の違いが生じている可能性は高いでしょう。また、日本国民の「最大多数の最大幸福」を祈念して行動している筈の「エリート」が実は、(無意識的にせよ)日本国民の利益に反して思考・行動している可能性も無きにしもあらずです。

 このような状況を踏まえ、個々の日本人は、(日本という国の中での)自分の地位や位置、並びに世界の中での日本の地位や位置を実証的に「明らめた」上で、個々の制約の中で然るべき行動を取るべきではないかと思っています。過去30年の日本の停滞について、年齢によってその度合いは異なるにせよ、一定の割合で「被害者」であり、かつ、「加害者」である私たちは、日本国の「主権者」として、少なくとも自分と日本の現状を把握し、できれば改善の為に行動することが求められるのだと思っています(偉そうに聞こえたら申し訳ありません。)。

 更に言えば、持続的に発展・改善される世界を創造し、その中で名誉ある地位(この言辞を使ったということで、盲目的な憲法改正反対論者と誤解しないでくださいね・・・)を地位を占めるにはどうすればいいのかを考え、自分の制限の中でできる限りの行動を取るべきであるということかと思います。

 

4.「考えるヒント」としてのブログ紹介

 「大昔」は小林秀雄のような「知識人」のみが「考えるヒント」を提示し得る時代でした。

 

新装版 考えるヒント (文春文庫)

新装版 考えるヒント (文春文庫)

 

  しかし、現在は、恐らくは(飽くまで恐らくは)、小林秀雄のような「知の巨人」と皆が認める「知識人」の数が相対的に減少し、誰しもが自己の思想の「発信者」となるためのツールを手に入れています(私が雑文をお目にそれなりに広くお目に掛けることができるのもその一環です。)。

 上記2のような問題意識を踏まえつつネットサーフ(「投資」とかで検索)した結果として見つけた「発信者」とそのブログがこれです。ちなみに、私は鈴木さんとは知人ではありません。彼?の各種ブログを辿っていくと有料メルマガの案内がありますが、そこに誘導するものでもありません。勿論、同氏の言説を100%支持するわけでもありません。

 

bllackz.com

 鈴木氏は経歴不明の人物ではありますが、アジアの売春地帯を取材した結果をマイナーな書店から出版しています。 

ブラックアジア 売春地帯をさまよい歩いた日々 第一部 カンボジア・タイ編

ブラックアジア 売春地帯をさまよい歩いた日々 第一部 カンボジア・タイ編

 

 

 経歴は不明ながら、ジャーナリスティックな世界で活動されているのでしょう。また、その後は、日本の風俗についての著作もあるようです。

 

  

 アジアの売春地帯に生きる女性とデリヘル業界で働かなくてはならない普通の日本人女性の共通点とは、 1990年代に始まった「新自由主義」で貧富の差が拡大した中で時代の趨勢に乗れなかった/切り捨てられたということなのでしょう。思えば、1990年代とは、究極の「政府介入」である計画経済を標榜していたソ連主導の共産主義が破綻した時代です。フランシス・フクヤマが述べてように歴史が終焉したわけでは決してなかったことは後から分かったわけですが、共産主義が滅んだ後に来たものは「新自由主義」という資本主義至上主義でしたというのが大きな流れです。

 「1990年代までの世界」には、いわゆる第一世界(=「自由主義世界」「資本主義世界」)、第二世界(=「共産主義世界」)及び第三世界(=非同盟諸国)が鼎立していたとざっくりと考えられます。アメリカ主導の第一世界では、1970年代までには、米国、西欧、日本、豪州、東南アジアを主要なメンバーとしてバリュー・チェーンが構築されました。第二世界では、ソ連を中心としたコメコン体制による計画経済による分業体制が敷かれたということかと思います。そして、その間にインドを盟主とする第三世界が収まるという「三国志」だったわけです。

   1990年代~2010年代の間に、世界は変わったようで米国一極支配は立ち腐れつつも終わっていません。この中で、日本人が如何に生存していくか。ニヒリスティックなるも、現実を見据える鈴木氏の言説から学ぶべきところもあるようです。