【時事英語に学ぶ】(その19)米国大統領一般教書演説。トランプ大統領と過去の大統領との比較。
こんにちは(こんばんわ)。アップアンドダウンです。美味しいお酒を呑み、良い映画を観て、素晴らしい本が読めれば幸せです。新聞も読みます。
''Trump calls for peace, but barbs still flying/State of the Union speech has sections that echo the president’s rallies”
(NTY International Edition 20190207 P1[News Analysis] by Mark Landler)
米国議会での一般教書演説についての2019年2月7日ニューヨーク・タイムズ国際版掲載の分析記事です。この演説の内容は日本の新聞でも腹いっぱいなので、この記事独自というか、米国紙独自の視点での分析に目を向けてみたいと思います。
タイトル試訳は「トランプ大統領は和解を呼びかける。しかし、未だに言葉に残る棘/一般教書演説の一部は大統領の選挙活動を彷彿させる」くらいでしょうか。
★記事全文の貼り付けやリンク張りはいたしません。ご興味があれば、NYTサイトにアクセス願います。
この演説でトランプ大統領は、インフラ整備等共和・民主両党で一致して追求できる政策の推進を呼びかけるなど両党和解の呼びかけをしています。しかし、全般的には、壁の建設を改めて強く主張してことでコアな支持層にアピールするとか、北朝鮮関係での成果を誇張する(自分が大統領でなければ、今頃北朝鮮と戦争になっていただろう云々)とか、結局は従前と変わらないというのがこの記者の分析です。
この記事で興味深いのは、直近で2期8年を務めた3人の大統領との比較です。不安定と言いますか、絶妙なバランスを取ると言いますか、米国大統領は中間選挙では往々にして敗れるというのが通例になっています(第一期なのか、第二期なのか、また、敗北の程度は様々だと思いますが)。
トランプ大統領の場合には2018年11月の中間選挙の結果、就任時には連邦上下両院とホワイトハウスが共和党であったのが下院多数派を民主党に引き渡す結果になっています。「政治家」の本能は「再選」ということですが、米国大統領となるくらいの人間なら、フランクリン・ローズベルトほどでなくとも二期は務めたいということだと思います。
In addressing Congress on Tuesday, Mr. Trump found himself in an identical position to his three predecessors, Barack Obama, George W. Bush, and Bill Clinton --- facing a hostile Congress after a devastating midterm defeat.
How each confronted the moment offers a window into their presidencies: together, they stand as a stark contrast to the current occupant of the Oval Office.
In 1995, Mr. Clinton responded to the Republican Revolution of the previous November by pivoting to the center and giving credence to the small-government agenda of Newt Gingrich and his fellow warriors. He admitted to missteps in his first two years in office, which had allowed his Republican opponents to caricature him as a tax-and-spend liberal.
Mr. Clinton sketched a vision of a leaner, more efficient government, with fewer regulations and a reformed welfare system. The conservative commentator, William Kristol, marveled that it was “most conservative State of the Union by a Democratic president in history.”
(試訳1)
今週火曜日、議会で(一般教書)演説を行なったトランプ大統領は、前任の三大統領とそっくりの立場にあることを自覚したろう。すならち、バラク・オバマ、ジョージ・W・ブッシュ、ビル・クリントンと同様に、破滅的な中間選挙後に敵対的な議会に対峙するということである。
それぞれの大統領がこの状況にどう対応したかから、それぞれの政権について知るヒントを得ることができる。この三人の大統領の言動は全て、現在大統領執務室に座る(トランプ大統領という)人物とは際立った対照を見せる。
1995年、前年11月の共和党革命に対してクリントン大統領は、中道への回帰及びニュート・ギングリッチとその仲間が標榜する小さな政府という主張の正しさを認めることで応えた。クリントン大統領は過去2年間のいくつかの判断ミスを認めた。これらのミスによって、敵である共和党側から「クリントンは、税金を取って使うリベラル」という攻撃を許したのである。
(1995年の一般教書演説で)クリントン大統領は、より少ない規制と改革された福祉制度を備えたよりスリムで効率的な政府という構想を描いて見せた。保守派の論客であるウィリアム・クリストルは、この演説は「民主党大統領による最も保守派な一般教書演説」であると驚きを込めてコメントした。
(試訳1終わり)
クリントン大統領も歴代第二位の長さの連邦政府機関閉鎖を経験(めでたく、トランプ大統領が記録更新)するなど、連邦議会との関係には苦労しました。例の事件では弾劾成立直前まで追い詰められたわことでも有名ですよね。
そのクリントン大統領は「白い黒人」などとも評され、色々な顔を駆使して生き残った政治家ですが、第一期目の中間選挙で共和党が大勝して「小さな政府」等を標榜するニュート・ギングリッチ下院議長率いる共和党保守派が下院で大きな勢力を持つと、中道右派とも見られる姿勢を示して保守派論客を驚かせます。
これは、直近の民意である中間選挙の結果を考えれば、政治家としては当然の姿勢とも思えます。
Twelve years later, Mr. Bush opened his State of the Union address with a warm tribute to Ms, Pelosi, who assumed the speaker’s gavel for the first time after Democrats swept to power in the House in 2006. He spoke of the pride her late father, Thomas D’Alessandro Jr., a congressman from Maryland would have felt in seeing his “only daughter, Nancy, presiding tonight.”
It was a grace note for Mr. Bush, who was fighting to salvage his legacy after mid-term elections that served as a referendum on the Iraq War and his bungled handling of Hurricane Katrina. Mr. Trump, by contrast, appeared to rush his opening remarks to deny Ms. Pelosi the chance to introduce him.
(試訳2)
その12年後ブッシュ(子)大統領は、2006年の民主党が(中間選挙で)大勝し多数を制したことを受け初めて下院議長の木槌を握った(ナンシー・)ぺロシ議員への暖かい祝辞を皮切りにして一般教書演説を始めた。ブッシュ大統領は、ペロシ議長の亡父であるトーマス・ダレサンドロ下院議員(メリーランド)が「一人娘のナンシーが今夜下院を采配している」のを見ることができた場合に抱いただろう誇りの感情に触れた。
この文言は、イラク戦争やハリケーン・カタリーナ対応への失敗についての国民投票となった中間選挙の後に、未来に残るべき政権の功績を引き揚げようとしていたブッシュ大統領にとっての言わば装飾音であった。これとは対照的に、トランプ大統領は、ペロシ議長が自分を紹介する機会を否定するために冒頭の辞を急いでいるように見えた。
(試訳2終わり)
ブッシュ(子)大統領は、「gentler, kinder nation」を標榜し、北東部の精神を代表した父大統領とは違い、イェール大を卒業したにせよ、深南部テキサスの精神を代表する大統領であると言われます。
イラク戦争については、その正統性への疑問や各種拷問などへの批判があり、レームダックとなっていた第二期の中間選挙では敗退を喫しました。それでも、敗北を受け入れて女性議長にエールを送るのは紳士的な振る舞いであり、この記事はトランプ大統領の大人気ない振る舞いと対比しています。
Mr. Obama’s speech in 2011 came days after former Representative Gabrielle Gifford was nearly killd in a mass shooting in Tucson --- a tragedy that muted the normally partisan tone. Mr, Obama seized on the fleeting comity to declare, “each of us is part of something greater --- something more consequential than party or political preference.”
Like Mr. Bush and Mr. Clinton, he appealed to Republicans to find common ground --- in his case behind a national project to make the United States more competitive in a rapidly changing global economy.
(試訳3)
2011年のオバマ大統領による一般教書演説は、ガブリエル・ジフォード下院議員が(テキサス州)ツーソンでの銃撃事件で危うく死亡しそうになって数日後に行われた。この悲劇によって、通常の党派的なトーンは鳴りを潜めた。オバマ大統領は、束の間の協調的雰囲気を捉え、「我々はそれぞれ、更なる偉大な何かの一部である。それは、政党とか政治的傾向以上に重要なものである。」と述べ上げた。
ブッシュ、クリントン大統領と同様、オバマ大統領は、共通の立場を見つけようと共和党に訴えたのである。同大統領の場合、急激に変化しつつある世界経済の中で、米国により競争力をつける為の国家的プロジェクトについてであった。
(試訳3終わり)
勿論、このように宥和的な一般教書演説をしたにしても、対立党が優勢な議会との間でたやすく何らかの合意を大統領が手にすることができるという訳ではありません。
この記者は、恐らくはトランプ大統領の一般教書演説の内容や行動様式から同大統領が通常の大統領とはやはり違うことを明らかにしたいとのだと思います。
確かにその通りですが、トランプ大統領としては、自分のコアの支持者からの支持を失う訳にはいきません(同大統領及び/又はその幕僚が「私の唇を読め。新たな増税はしない。」という公約を反故にして二期目を失ったブッシュ(父)大統領の教訓を意識しているかは分かりませんが。)。
NY T記者にとっては酷い一般教書演説かもしれませんが、民主党大統領候補への争いがこれも酷いことになっていることもあって、今後、内政・外交においてトランプ大統領に大きな追い風となる事象がタイミングよく現れれば、再選の可能性も十分あるのではないでしょうか。
2020年の大統領選まで、民主・共和両党が数ヤードを争い合うフットボールはまだまだ始まったばかりです。その結果は、Only God knows.